ニュース

2005/02/15

誰のせいでも…

大阪の寝屋川市の事件のはなし

きっと、つまずいたところで時間がとまっちゃったんだなと思った

人間は成長する
子供のころは思いつめるほど大事な思いだったけど、ちょっと成長して時間がたつとなんだったんだろうとすっかり忘れてる
わすれちゃいけない思いまで忘れてはいけないけど(これもむずかしい)、みんなつらいことや悲しいことはちょっとづづ思い出さなくなっていく
忘れたわけじゃなくて、思い出す感覚が長くなっていい思い出になっていく
学校へ行かずとも、バイトしたり、ボランティアしたり、新聞の記事に書いてあったように大検のためにめちゃくちゃ勉強したっていい、悪い友達とつるんでみたりだって、なんでもいい「自分の時間」が少しずつでも進んでいったならいつかは「いい思い出」になったはずなのに
そこまで昇華できずに、事件になった

このBLOGにはなるべく個人的に体験したことを載せていこうと思ってるので、この件はほんとはその範囲からはずれてる
でも、ゲームのせいとか、不登校になったときの対処が悪いとか、学校の管理があまいとか、家庭の教育がとかいうTVの「視聴者の意見代表ですみたいにとくとくと話す人」は気分が悪い
「自分に関係なく自分の子供のときはなかったことがさもさも全部いけないことだ」といわんばっかりな意見が多いから

不登校になった時点で家族は、何が悪かったのかと悩みは続いていたはずだし、学校だって人の出入りはもともと少なくないところだし、それをいったらそれこそ授業参観やら運動会やら入学式やら卒業式だって生徒以外は入れられない
何が悪いと短絡的に一点に集中させて決め付けてしまうのは簡単だ
でも、こういう事件って、ボタンの掛け違いみたいにみんながみんなどこかがずれたせいなんだとおもう

| | コメント (0) | トラックバック (0)